没後70年 ピート・モンドリアン

現代抽象絵画への道を切り開いたオランダの画家ピート・モンドリアンは、今年、没後70年を迎える。それを記念して、世界最大のモンドリアン・コレクションを誇るオランダのデン・ハーグ市立美術館では、企画展「モンドリアンとキュビスム―パリ1912-1914年」と所蔵作品でモンドリアンの生涯を辿る常設展「モンドリアンとデ・ステイル」を同時開催している。

1911年、フランスの新しい美術運動キュビスムを紹介する展覧会がアムステルダム市立美術館で開かれたが、これがモンドリアンに大きな衝撃を与えた。40歳を間近に控えて新しい芸術を模索していたモンドリアンは、この展覧会で見たピカソなどのキュビスムに影響を受けるとともに、芸術的躍進を図るためにはパリへ行くべきだと確信し、すぐさま1912年1月にパリに移り住んだ。

fig.1 Piet Mondriaan, Evening; The red Tree,1908-1910, oil on canvas, 70 x 99 cm.
Collection Gemeentemuseum Den Haag
© 2007 Mondrian/Holtzman Trust c/o HCR International, Warrenton (VA, USA)

パリでの滞在は2年間という短い期間であったが、彼の作品はキュビスムの洗礼を受け、平面的・幾何学的な形体へと変化していった。その過程が常設展に展示されている《夜、赤い木》(1908-1910、図1)、《灰色の木》(1912年)、《花咲く林檎の木》(1913年)などの木を描いた作品である。ゴッホを思わせる生命力にあふれた力強い赤色は灰色を基調とした色彩に代わり、具象的に描かれた見事な枝ぶりは細かな枝を省略され次第にその姿が水平線と垂直線へと抽象化されていった。

企画展示室には、モンドリアンが1914年にデン・ハーグで開催した展覧会に出品したコンポジションⅠからⅩⅥと題された16枚の作品を集めた一室がある(図2)。コンポジションとは、フランスで直線と色彩からなる彼の作品を呼称するのに使用していた言葉である。ⅠからⅩⅥの番号は制作順ではなく、モンドリアンが恣意的につけたものである。完全な抽象絵画にⅠからⅥの番号が付し、そのあと抽象化される前の木や建物の形態が残されている作品などが続いている。ただ、形態が残されているといっても、油彩画の横に小さく掲示されたもととなった木や建物のデッサンと見比べなければ、なにを抽象化したものかはわからないほどである。

 

fig.2 Piet Mondriaan, Composition no. IV, 1914. Gemeentemuseum Den Haag

1917年、父の病気の知らせによりオランダに戻ったモンドリアンは、第一次大戦が始まったためにオランダに留まることになった。中立国であったオランダは戦禍を免れ、この間、オランダ美術界はフランス美術の影響から脱して独自の芸術を花開かせた。モンドリアンはドゥースブルフとともに雑誌『デ・ステイル』を創刊し、水平線と垂直線、赤・黄・青の三原色に白と黒を加えた色彩によって、普遍的・本質的な芸術を目指した。この芸術運動には画家・彫刻家・建築家・デザイナーらが参加し、絵画だけでなく家具や建築まで制作され、モンドリアンの理念は都市景観まで広く影響を及ぼした。

第二次大戦時にニューヨークに亡命し、72歳で亡くなる直前まで制作されていた《ヴィクトリー・ブギウギ(未完)》が常設展示室に飾られている。近寄ってみると、油彩の上に何枚もの小さな四角いテープが張られていて、モンドリアンが最後まで試行錯誤をしていた様子が伝わってくる。

デン・ハーグ市立美術館でモンドリアンに興味を持った方は、オランダに残るモンドリアン縁の地を訪ねてみるとよいだろう。アメルスフォールトにある生家、モンドリアンハウス(Mondriaanhuis)や、ドイツ国境近くのヴィンタースヴァイクにある少年時代を過ごしたヴィラ・モンドリアン(Villa Mondriaan)などは、建物内部を見学することができる。

「モンドリアンとキュビスム」展は、5月11日まで開催(月曜日休館)。

デン・ハーグ市立美術館 Gemeentemuseum Den Haag
Stadhouderslaan 41
2517 HV Den Haag
The Netherlands
http://www.gemeentemuseum.nl/en

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