1890年代、スイス人の画家フェリックス・ヴァロットンはナビ派とよばれるグループに所属していた。ナビ派はボナールやヴュイヤール、ドニといった若い前衛的な芸術家たちで形成され、ゴーガンや日本の浮世絵から影響を受け、装飾的な芸術への道を模索していた。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で開催中の展覧会「フェリックス・ヴァロットン」では、世界中から集められた絵画約60点とゴッホ美術館が所蔵する40点の版画で構成され、ヴァロットンの芸術の全貌に迫っている。
ヴァロットンが画家を志していた当初、肖像画を多く描いていたが、1890年代になって木版画も制作するようになった。当時はリトグラフ全盛の時代であり、もっぱら素描や写真の複製を作るものとして廃れつつあった木版画に、ヴァロットンは革新をもたらした。それまで西洋の版画で使用されていたグラデーションやハッチングなどといった伝統的な立体表現はほとんど使用せず、しっとりとした黒のおおきなかたまりと諧調のない白の色面で構成した。ヴァロットンは町の群集や街頭デモなどの街角の風景、入浴や男女の語り合いなどといった室内の親密な様子などの描写を得意としていた。とくに室内を舞台に男女の機微を鋭く描写した『インティミテ』(親密さ)のシリーズは彼の版画作品の頂点である。(図1)裏切りや無関心、心変わりなどの不穏な空気が表わされ、表面上の親密さに隠れた冷めた関係性を露わにしている。彼の印象的な版画は新聞や書籍に掲載されてヨーロッパだけでなくアメリカにまで広く流通した。
彼は油絵の分野で、肖像画から風景画、静物画、裸婦像とさまざまなジャンルの作品を残した。そのなかで風景画の制作方法は大変興味深い。彼は現実の風景そのままを画面に写し取るのではなく、自身の作品や写真をもとに現実にはない独創的な風景を作り出した。たとえば、彼の代表作《ボール》(図2)は女性を横から写したものと窓の上から見下ろして撮影した2枚の写真を組み合わせ、一枚の絵の中に二つの視点を採用している。また描く際にまず輪郭線を描いてから、その内側を平坦に塗り、明暗による量感表現をほとんどおこなわず、装飾的な画面に仕上げている。浮世絵に学び、写真に興味を持っていたヴァロットンはなめらかな画面表面、冷めた雰囲気と洗練された色彩感覚で独自の作品を確立した。
「フェリックス・ヴァロットン」展は、6月1日まで開催。その後、東京・三菱一号館に巡回予定。