ジャックマール=アンドレ美術館は、エドゥアール・アンドレと妻ネリー・ジャックマールが彼らの審美眼をもとに集め続けた美術品を、生活の中で愛でるために模様替えと増改築を繰り返して創り上げたパリ屈指の華麗な邸宅である。そこでは、彼らのコレクションを中心として、約60点を展示する「雅宴画 ワトーからフラゴナールまで」が開催されている。
18世紀初頭、フランスではそれまでの重厚な宗教画や歴史画などに代表されるバロック様式に代わり、軽妙洒脱で優雅な曲線で構成されるロココ美術が花開いた。そのなかで美しい自然や庭園で繰り広げられる男女の恋の戯れを描いて流行を博した画題が「雅宴画」である。その中心的な役割を担った画家はジャン=アントワーヌ・ワトーであった。フランドル地方に生まれた彼は、若い頃パリに出た。ワトーはパリで流行していた優雅な衣装を身に纏った男女を、豊かな緑あざやかな花が咲き誇るフランドルの伝統的な牧歌的な風景の中に描いた。詩的で空想的な雰囲気が、ロココ調の洗練された曲線と明るい色彩により醸し出されている。(図1)
ワトーには弟子がいなかったが、1710年代後半には多くの画家たちが彼の作品を模写し、彼の作風に影響を受けた作品を手がけるようになった。ニコラス・ランクレはワトー作品に最も影響を受けた画家である。ランクレは当時流行の衣装デザインや同時代の人々がすぐに認識できる場所など現実世界の要素を絵画世界に採り入れた。例えば、《パートナーと踊るマリー・カマルゴ嬢のいる雅宴画》の中央で踊る女性はパリのオペラ座のスター、マリー・カマルゴである。彼女は軽やかなステップを得意とし、18世紀バレエに様々な新しいステップを加えた。彼女は複雑なステップを踏みやすくするために、くるぶしを隠すくらいまであったスカートの丈をふくらはぎのあたりにまで短くした。絵の中で彼女が身に着けるスカートは短く、トゥシューズを履いているのがわかる。
18世紀の後半になっても雅宴画の人気は衰えず、さらなる繁栄を迎えた。芸術の後援者であるパトロンらが邸宅を装飾する絵画を求めるようになると、それらに寸法を合わせた大型作品が制作されるようになった。ジャン=オノレ・フラゴナールが卓越した筆で描いた《サン=クラウドの宴》(図2)は特筆すべき作品である。広大な庭園のなかに、演劇やダンスなど思い思いに余暇を楽しむ人たちが描かれている。そのなかでもっとも目を引くのは中心に描かれた噴水である。勢いよく高さ5m以上も噴き上げる噴水は、非日常的な宴の空間を創り出している。 ここにワトーから始まった雅宴画の頂点が築かれた。