マウリッツハイス美術館の珠玉の一枚であった≪サウルとダビデ≫(fig.1)は、レンブラント研究の第一人者であるホルスト・ヘルソンにより、1969年に作品の帰属に疑問を投げかけられ、一度、表舞台から姿を消した。しかし、2007年にマウリッツハイス美術館で始まった調査・研究を経たのち、6月から始まった展覧会「レンブラント?≪サウルとダビデ≫の場合」で再びスポットライトがあてられた。
≪サウルとダビデ≫には二人の人物 – イスラエル王国最初の王であるサウルと、竪琴の名手ダビデが描かれている。ダビデは竪琴の美しい音色によって王の心を癒していたが、彼がペリシテの勇者ゴリアテを倒して有名になるとサウルはダビデを妬んで命を狙うようになった。サウルとダビデを描いた多くの作品には、嫉妬に駆られたサウルがダビデを殺そうと槍を握りしめている姿が描かれる。レンブラントも1629年頃に描いた同じ主題の作品ではそのような姿のサウルを描いた。しかし、今回調査した作品ではサウルの手は槍に添えられているだけであり、カーテンでダビデの奏でる音楽に感動して流した涙を拭っている。このような過去作品との描き方の違い方が、作品の帰属に疑問を投げかける一端となっていた。
作品調査はマウリッツハイス美術館の学芸員と修復家を中心に行われ、海外の専門家で編成された委員会も発足された。調査過程において、かつての修復作業などによってなされた加筆・補彩が取り除かれると、絵画は驚くべき姿を見せた。このカンヴァスは15片の断片を貼りあわせており、オリジナルの部分はサウルとダビデを描いた二つの大きな部分だけであるのが判明したのだ。そして、描かれた当初の大きさは現在のものよりもかなり大きく、下部を約10センチ、左を約5センチ切り取られていることが分かった。加筆・補彩の除去とX線写真などの最新機器による調査により作品の真の姿が明らかになっても、マウリッツハイス美術館はこの作品をレンブラント作品だと結論付けることに躊躇した。それは、この作品が一度完成されたのちに、数年後、再び手が加えられているからだ。繊細に仕上げられた作品の上から、サウルが着用しているマントの部分などにぎこちない筆触があるのだ。それがレンブラントの手によるものか、弟子によるものか曖昧なままであった。ホルスト・ヘルソンが1969年にこの作品の帰属に疑問を呈したのも、レンブラントの描き方とかけ離れていると考えたからであった。しかし、マウリッツハイス美術館は、顔料の調査も行って、過去の修復によって絵具層や絵具の色彩が失われてしまったために絵が変化したと結論づけ、最終的にこの作品はレンブラントの真作だと判定した。
この展覧会では、《サウルとダビデ》と調査で参考にしたレンブラント等の作品のほかに、展示室に設置された4つのディスプレイを使って映像による作品の詳しい解説がなされている。作品の履歴や修復作業によって判明した新しい事実が示され、複数の研究者の見解を経て最終的にレンブラント作品だと同定される様子は、まるでミステリー映画の謎解きのようだ。このレクチャーを受ける前と後では、《サウルとダビデ》の見え方が変わるだろう。
「レンブラント?《サウルとダビデ》の場合」展は9月13日まで
Plein 29
2511 CS The Hague
The Netherlands
http://www.mauritshuis.nl/