テート・リヴァプールでは、この夏、ジャクソン・ポロックの最晩年(1951-1953年)に焦点を当てた展覧会「ジャクソン・ポロック-ブラインド・スポット」を開催している。彼の代名詞とも呼べる技法「ポーリング」や「ドリッピング」で旺盛に作品制作を行った後に作風をがらりと変えた最晩年は、これまでそれほど注目されてこなかった時期にあたる。
ポロックの生涯はまさに映画の主人公のようであった。1930年代のニューヨークで不安定な精神状況とアルコール依存に苦しみながら作品制作を行っていた彼は、ある日、著名なコレクターであるペギー・グッゲンハイムに見出されて一躍、時の人となった。床に広げた大きなキャンバスに絵具をふり注いで描く「アクション・ペインティング」で注目を集め、1950年の絶頂期に至るまでには、歴史に残る大作を何点も生みだした。(fig. 1)
彼が確立した「ポーリング」や「ドリッピング」の技法は、床に広げたカンヴァスの上に流動性の高い塗料を流し込んで描いていく技法である。繊細で伸びやかな、手では描き出せない長い線を画面上に紡ぎ、大作を次々と制作した。
しかし、この技法で純粋な線によってのみ作品制作をした時期はわずか4年ほどしかなかった。そして1951年からはそれまでに確立されたかに見える様式と抽象表現をあえて否定するかのように、人物や動物などの具象的なイメージが画面に現われ、色彩もカラフルなものから白と黒のモノクロームを主体としたものへと変化した。《ポートレートと夢》(1953年、fig.2)では、左側の作品には女性の全身像が、右側には女性の顔が認められる。彼は自らの作風が様式化することを恐れ、我々のブラインド・スポット(盲点)を突くような作品を生み出すために常に変貌することを望んだ。だが、新たな作品を模索する闘争の苦しみによるスランプのためか、1951年の個展の評判が散々であったことを気に病んだためか、再びアルコールに溺れ、1956年に自動車事故で44歳という若さで流星のようにこの世を去った。
「ジャクソン・ポロック―ブラインド・スポット」展は、2015年10月18日まで開催 (開催期間中無休)。